山梨県の出張写真撮影

山梨県の出張写真撮影カメラマン依頼・予約19,800円〜

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当ホームページをご覧くださり、ありがとうございます。こちらのページではプロカメラマン(写真家・フォトグラファー)による山梨県内での写真出張撮影・ロケーションフォトサービスを案内しております。

 

当サービスでは、新生児写真(ニューボーンフォト)、お食い初め(百日祝い)、初節句、お宮参り、ハーフバースデー、ファーストバースデー、お誕生日会、七五三(753)を始め、幼稚園・保育園の入園式・卒園式、運動会、小学校の入学式、ピアノの発表会、ハーフ成人式(1/2成人式)、ハロウィン、クリスマス、ホームパーティー、年賀状、成人式、カップル写真・エンゲージメントフォト、結婚写真・フォトウェディング、マタニティフォト、ポートレート、新居・新築・引越し祝い、還暦祝い・長寿祝い(喜寿・米寿)、生前撮影(遺影写真)、ペットといった家族写真を中心に撮影させていただいております。また、屋外でのロケーションフォト以外にも、ご自宅や飲食店、スタジオなど屋内での撮影を承ることも可能です。

 

サービス内容、ご利用料金、その他情報につきましては、下記の当サービス公式ホームページにて詳しく記載しております。

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≪地域情報≫

山梨県(やまなしけん)は、本州の内陸部に位置する、日本の県の一つ。県庁所在地は甲府市。令制国の甲斐国に相当する。

 

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概要

南に富士山、西に赤石山脈(南アルプス)、北に八ヶ岳、東に奥秩父山地など、標高2000mを超す山々に囲まれる。海洋国家といわれる日本において、内陸側に位置する数少ない県である。山梨県の面積は全国32位であるが、その8割を山岳地が占めるため可住地面積は全国45位である。往来が比較的容易で、交通路も整備されている東京都(除島嶼)、神奈川県津久井地区、長野県中・南信地方、静岡県大井川以東の三方との交流が、古くから盛んである。又、埼玉県秩父地方との境は奥秩父山塊に隔てられているが、1998年(平成10年)の国道140号雁坂トンネル開通により、自動車やバスでの直接往来が可能となった。なお、山梨県と静岡県を併称する場合は、山静(さんせい、やましず)や甲駿(こうすん)という。

 

「山梨」の県名は律令制下の甲斐四郡のひとつである「山梨郡」に由来し、県名は1871年(明治4年)7月の廃藩置県に際して旧甲斐国一国が甲府県を経て「山梨県」に改称された。山梨郡は県庁所在である甲府が属している郡域であるが県名の改称理由は不明で、新政府による幕藩時代との断絶が意図されていた可能性が考えられている。「山梨郡」は本来甲斐一国を意味する呼称ではないため明治初期には新県名が浸透せず、政治団体やその機関誌等では県域を指す地域呼称として「峡中」が用いられた。現在では「山梨」が県域全体を指す呼称として定着している。

世界遺産「富士山」

標高3,776m、日本一の高さを誇る富士山は、その壮大さと、頻繁に繰り返された荒々しい噴火によって、古来より人々の畏敬を集め、信仰の対象となってきました。またその円錐形をした美しい姿は、多くの芸術家にインスピレーションを与え、数多くの芸術作品を生み出すモチーフとなっています。日本の象徴として人々に愛されてきた富士山は、平成25年6月、ついに世界文化遺産へ登録されました。

 

富士山世界文化遺産登録への道のり

世界遺産とは過去から引き継がれてきた人類共通の遺産を、国際的に協力しあって保護・保存していこうという、「世界遺産条約」に基づく「世界遺産リストに登録されている物件」のことで、現在日本では、富士山を含め13件の文化遺産、4件の自然遺産が認定されています。山梨・静岡両県では平成10年11月18日、富士山憲章を定め、富士山を愛する多くの人々の思いを結集し、保護と適正な利用のもとに、富士山を国民の財産として、世界に誇る日本のシンボルとして、後世に引き継いでいくことを決意し、世界文化遺産登録実現に向けて取り組んでまいりました。そして平成25年6月、カンボジアで開催された第37回ユネスコ世界遺産委員会において、富士山の世界文化遺産への登録が決定しました。

 

富士山の動植物

日本一高い山、富士山は、植物の垂直分布が観察しやすく、植物の遷移を知るにも最適な山です。富士スバルラインを車で移動すると、標高が増すごとに景観が大きく変わります。料金所から1,600mぐらいまではアカマツやコナラなどの林が続く山地帯、それより上部になるとシラビソやコメツガの林、ナナカマドやハクサンシャクナゲも見られる亜高山帯になります。五合目の上部は砂礫じの高山帯で、オンタデやフジイタドリ、背の低いカラマツがところどころに生えています。

 

富士山と信仰

古(いにしえ)より日本人は、噴火を繰り返す富士山を神が宿る山として畏れ、噴火を鎮めるために富士山の麓に浅間神社を建立しました。噴火活動が沈静化する平安時代後期になると富士山は、日本古来の山岳信仰と密教等が習合した「修験道」の道場となりました。12世紀前半に活躍した修行僧の末代上人(まつだいしょうにん)は、山頂に大日寺を築きました。室町時代後半には、修験者とともに一般庶民も登拝するようになり、戦国時代に現れた長谷川角行(はせがわかくぎょう)が新たな富士山信仰を教義としてまとめたとされています。角行の教えは弟子へと引き継がれ、江戸時代中期には「富士講」(ふじこう)として関東を中心に大流行し、多くの人々が富士登山や富士五湖等の霊地への巡礼を行うようになりました。明治になると女性の山頂登山も解禁となり、また鉄道や道路網の発達により多くの登山者が山頂を目指すようになりました。